紫陽花の花束を

独り言から遊戯王、模型などなど思うがままに書いていく

人として時期がずれている

自己紹介がてらの絶望的な話。

 

いつもタイミングがずれてばかりの人生を送っています。ただ自分はそれを逃しているというわけではなくタイミングが「ずれているの」です。

 

流行に乗るか悩んでる内に結果として「乗り遅れて」、何食わぬ顔で「昔から好きでしたよー?」というのならまだしも、「なんで今なの?」という時期に私は何かとハマってしまうようです。

 

例えば私が絶望先生にハマった時期というのが2015年。恐ろしいこと?にきっかけが全く思い出せません。そもそもそんな時期に久米田康治先生近辺で何か大きなこと(新連載、連載終了、アニメ化等)もなかったはずですし…

一般的には連載を読んでた、アニメ化のタイミングで、絶望放送を聞いてといったきっかけなら普通でしょうし、最終話、最終巻を知ってからというのも有り得ます。実際、最終巻の発売はネットでニュースにもなっていましたし、話題にもなってたように記憶してます。

 

何が悲しいかって話なのですが、「流れ」に乗って楽しめないというのがツライのです。

よくあるAI物の作品の「これが楽しいという感情なのでしょうか…?私のデータベースの感情データーよりも複雑な流れ…」とかいうアレです。知識と体験には埋めがたい乖離があるという話です。

最近だとFGOの魔神柱狩りが採取決戦呼ばわりされて一秒間に44柱狩られてたとか、「もっと寄越せバルバトス」とかというその場の流れで生まれたネタというものは物凄い勢いで鮮度が落ちていくのです。さらにその場でこのような話題が流れていくのを見ていたとしても、FGOをやってない人には「ふーん」程度、良くて「なんだよその勢いはwwww」程度なのです。

 

私のようなずれてばかりの人間はその場の空気を味わえるということがほとんど無いのです。できることは当時の記録を後になって見直すしか無いのです。まだ、タイミング逃したのなら自分を責められるのですが、ただずれている私には圧倒的な虚無が心を覆うだけなのです。

 

だからといって努力をしても私が住むは北海道。本が届くのもアニメをやるのも一歩遅れた北海道。もう生まれた瞬間から流行から一歩後ろを行くことが確定している。他人の踏んだ足跡の上を歩いて生きていきます。

 

 

ブレブレ人生を送るズレズレ人間の呟き。